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境内案内

関ヶ原の合戦で焼失
寛永十九年、三代将軍・徳川家光が再建

家光が寄付した七千両(約二十一億円)で、本殿、拝殿、高舞殿など今も残る十五棟の社殿と石橋、石鳥居が建築・造営された。これらは国の重要文化財に指定されている。
社殿
*和様と唐様を混用した独自の「南宮造」

 南宮大社(垂井町宮代)は主祭神に金山彦命を祀り、相殿に見野命、彦火火出見命が祀られている。主祭神の名から、鉱山をはじめ金属一切をつかさどる神様として、うやまわれてきた。
 創設は神武天皇の時代にさかのぼる。古くは仲山金山彦神社といわれ、美濃国府が置かれていた府中(垂井町)に祀られていたとされる。現在地の二キロほどのところである。
 崇神天皇のとき、現在の場所に移り、国府の南に位置することから、南宮大社と呼ばれるようになったと伝えられる。この「南宮」という社名の由来については、宮司の宇都宮精秀さんが、「朝鮮半島と深い関わりがある」という新説を唱えている。
 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦の兵火で社殿は焼失。そののち寛永19(1642)年、この地にゆかりの乳母・春日局らの願いを聞き入れた三代将軍、徳川家光によって再建された。
 現在の南宮大社の社殿、石鳥居、石橋などは、このとき家光が寄付した七千両(約21億円)をもとに、造営奉行、岡田将監の指揮によって建築・造営された。
 正面の楼門をくぐると、舞楽を奉納する高舞殿があり、その奥には拝殿、本殿などが三百六十年の時を経て、荘厳なたたずまいを見せている。
 木々の緑に囲まれた社殿は、十五棟からなる。本殿、弊殿、拝殿、樹下社、高山社、隼人社、南大神社、七王子社、回廊(左右)、勅使殿、高舞殿、楼門、神輿舎、神官廊。そのすべてが国の重要文化財に指定されている。
 建築様式は、和様と唐様を混用した独特の様式であることから、南宮造と呼ばれている。本殿と弊殿だけは素木造りで、その他の社殿は鮮やかな朱塗りになっていることも特徴の一つと言える。社殿の軒回りは、すべて刳抜蟇股という社寺建築独特の装飾が施されている。その形が蟇の股の曲線に似ていることから蟇股と呼ばれる。中でも高舞殿の蟇股にある十二支の動物の丸彫りが特に名高い。
 楼門の表には右大臣、左大臣の木像、裏には狛犬がそれぞれ門番のごとく配置され、参拝の人々を見守っている。
 屋根を葺き替える式年遷宮は、51年目と定められていて、最近は昭和48(1973)年に行われた。この時は文化庁の指導のもとに二年余りの歳月をかけて社殿の修復が行われた。また、楼門の南の広場にはコンクリート建築の宝物殿が新築された。宝物館には名刀など多くの宝物が保存され、毎年、文化の日(11月3日)に公開される。
 このほか三重塔、本地堂、鐘樓などの仏教関係の建造物も同じ時期に建てられたが、明治維新の神仏分離のとき、これらは近くの真禅院(朝倉山)に移築された。
 南宮大社には江戸時代の社殿の配置を描いた古図が保存されていて、それには三重塔など仏教関係の建造物も描かれている。

石橋・石鳥居
*人間は通れない 神の橋「石輪橋」

石輪橋

石輪橋

 楼門の前の川には、石輪橋、石平橋という二つの見事な石橋が架かっている。造営時期は社殿と同じ寛永十九年。
 門の正面が石輪橋。花崗岩で造られ、その名の通り輪のように円弧を描いている。この形は、そり橋とも呼ばれ、神様が通られる橋、つまり人間は通ってはいけない橋を意味している。

石平橋

石平橋

 その下手にあるのが石平橋。同じ花崗岩で造られているが、形はほぼ平らになっている。
 この橋は、石輪橋と違って、人が参拝の行き帰りにわたる橋。五月五日の例大祭で、おみこしが下向する際に渡ることから下向橋とも呼ばれる。


石鳥居

石鳥居

 石鳥居は、旧中山道から南宮参道への入り口(垂井本町の四つ角)にある。これも寛永十九年の築造で、花崗岩を使った明神鳥居型と呼ばれる様式でできている。
 地上から最上部までの高さは約七メートル。柱の直径は約七十三センチある。造営文書の記録によると、柱の半分は地下に埋まっているそうで、地震などに耐える堅固な造りになっていたことが分かる。
 鳥居の中央部には社格を表す「正一位中山金山彦大社」の額がかけられている。両側には一対の石灯籠と南宮道の道標がある。
 それにしても、重い石の鳥居を、クレーンもない当時の技術で、どうやって組み立てたのだろう。これには逸話が残っている。土俵を高く積み上げ、その上に石材を大勢で引き上げて組み立て、終わった後、積み上げた土俵のどれかに小判が入っているとして庶民に取り崩させた、という話がある。

棟札

棟札

 もうひとつ注目すべき文化財がある。それは寛永十九年に社殿などが建築された際の造営文書と棟札だ。
 造営文書は、六百二十三冊が現存。建物に使用された材木一本一本の寸法、値段をはじめ神輿や神事用の楽器・衣装の詳細まで記録されており、建築史上、全国的にも貴重な資料になっている。
 棟札は、棟上げや再建・修理のとき、工事の由緒や工匠の名などを記して棟木に打ち付ける札。三十枚が現存し、その中に「征夷大将軍家光造営」と書かれた札もある。これらの文書と棟札は、社殿の付属物として、国指定の文化財に登録されている。