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刀剣について
重要文化財の刀剣などを保存
毎年、文化の日に一般公開

南宮大社の宝物は、刀剣、胴丸、駅鈴、絵馬、絵画など多種多様で、その数も多い。年に一回、十一月三日(文化の日)に一般公開される。
刀剣
*日本で五本しかない 平安時代の名刀「三条」

 美濃国だけでなく全国の信者から仰がれてきた南宮大社には、刀剣をはじめ多くの宝物が奉納されてきた。現在、楼門の南前にある宝物館に、貴重な文化財として保存され、年に一回、十一月三日(文化の日)に一般公開される。
 南宮大社の宝物の特徴は、刀剣類が多いことである。その数は数十振にのぼる。また、数が多いだけでなく、文化財として価値が高い逸品が奉納されている。これは南宮大社が金属の神様であること、その昔、西美濃が刀鍛冶の中心だったこと、などによると考えられる。
 中でも刀剣の「三条」、「康光」と古代の「鉾(無銘)」の三点は、国指定の重要文化財で、戦前は国宝だった。
 「三条」は、平安時代の京都の名匠・三条宗近初代の作で県内随一の名刀とされている。長さは二尺五寸八分(七十八・二センチ)。
 「三条」が国の重要文化財になっている理由を、刀剣類の専門家である竹中博男さん(大垣市)に解説していただいた(竹中さんは岐阜県刀剣登録審査委員で倉城館日本刀研究工房を主宰、少年たちに剣道も教授されている)。
 「刀は大陸から伝わった当初は、まっすぐな形をした直刀でした。それが平将門の乱(九三九年)のころから反りのある形、いわゆる湾刀に変わりました。この『三条』は、ちょうど変わったころにつくられた太刀だから、とても貴重なのです。いわば日本刀のルーツです。当時の太刀が、そのままの姿で残っているのは極めてまれで、国内には国宝の『三日月宗近』を含めて五本ほどしかありません。古いということと、直しなどがされていなくて、つくられた当時のままであること、そしてできがいい。だから文化財としての価値があるのです。昭和の初期に赤坂の矢橋家から奉納されたものです」と竹中さん。
 「家光」は、備前国長船の名匠・康光の作。室町時代の応永五(一三九八)年、美濃守護・土岐頼益が奉納したものではないかとされている。長さ二尺五寸八分(七十八・二センチ)。写真は表紙に掲載。
 「『康光』が文化財として価値が高いのは、厚さが八分(二・四センチ)と、普通の刀の三倍もある大業物であることです。片手では持てないぐらいの重さです。実用向きではないので、あきらかに奉納刀です。さらに刃文が美しいことでも有名な刀です。これだけの厚さがあると、刃文をうまく出すのは技術的にとても難しいのですが、この刀は康光独特の刃文が見事に出ています」と竹中さん(前述)は絶賛する。
 もうひとつの国指定文化財は奈良時代の鉄製の鉾二口。見た目は槍に見えるが、この時代に槍は存在しなかったので鉾と呼ぶのが正しい。槍は南北朝時代に初めて登場した。
 鉾なのか槍なのかは形状で区別できる。柄と連なる部分が管状になっていて、その中に棒を入れるのが鉾で、逆に棒が管状になっていて、中へ入れて止めているのが槍である。穂先の形状も、鉾は両鎬で、槍は片鎬の平三角が多い。
 幻の名刀ともいえる逸品が、西濃地方のさる大家から奉納された。「外藤」である。外藤は青墓(大垣市)の刀匠。美濃で一番古い刀匠で、刀鍛冶のルーツといわれる存在。「美濃の刀鍛冶は、青墓などの西濃地方で栄え、後に関に伝わった。刀匠のランクは、それほど高くないが、発祥の地である青墓の刀匠の作であることから、歴史的な価値が高い」と竹中さんは語る。貴重な刀であることを鑑定した竹中さんが、奉納の橋渡しをした。
 南宮大社の刀剣類の中で、もっとも古いものは「圭頭太刀」。柄(握るところ)の形が、上はとがり、下が方形になった玉のことである圭に似ているのでこう呼ばれる。六世紀から七世紀の大和時代のものとされる。儀式などで使う儀仗用の太刀で装飾が美しい。鞘なども金属でできている。古墳からの出土品と見られるが、発掘場所と記録が定かでないため文化財には登録されていない。
 このほか県指定、町指定の文化財に登録されている名刀もたくさんある。
 県指定では刀「兼元」などがある。長さは七十三・一センチ。初代兼元は室町時代の人。二世兼元は不破郡赤坂(現在の大垣市赤坂町)に住み、刀匠として名をあげ、後に孫六と称した。後年、子孫は関に移った。「兼元」は通称「関孫六」と呼ばれる。
 町指定では太刀「藤原永貞」などがある。長さは約八十センチ。永貞は地元・表佐村(垂井)の生まれ。江戸で修業を積んだ。その銘「濃州赤坂勝山麓住藤原永貞」は有名で、明治天皇の軍刀にも採用された。