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祭典・神事祭典・神事
神と人を結びつける太い絆
氏子の奉仕で守り伝えられる
節 分 祭(せつぶんさい)
節分祭 *将門伝説にちなみ 十二本の矢を射る

 二月の節分の日、南宮大社の広庭で、裏に「鬼」と書かれた直径百六十センチの大的に、神職が十二本の矢を射る。魔よけと五穀豊穣を祈る行事。大的神事とも呼ばれる。
 天慶二(九三九)年、平将門の乱のとき、将門の怨霊の首が火を吹いて京の方角へ飛んだ。その首を南宮大社の祭神・隼人神が、矢竹で射落としたという伝説にちなんでいる。
 南宮大社の社殿のひとつである隼人社の前には、現在も矢竹がはえている。
また、将門の首が落ちた場所で、その霊を祭ったのが御首神社(大垣市)の始まりとされ、神社の近くには矢道町の地名が残っている。
高 山 社 祭(たかやましゃさい)
高山社祭 *白玉椿が満開のころ 南宮山の奥宮で神事

 南宮大社の御神木は白玉椿。境内にはたくさんの白玉椿の木があり、本殿を守るかのように取り囲んでいる。樹齢を重ねた木も多く、見上げるほどの高さがある。なかに樹齢千年を超えるものもあったそうだが、残念ながら枯れてしまったと聞く。
 高山社祭は、白玉椿の花が満開に咲くころ行われる。この祭が行われるところは本殿ではない。南宮山の山頂近くにある高山社の奥宮である。奥宮にもたくさんの白玉椿があり、高山社祭は別名、椿祭と呼ばれる。
 神職が奥宮に出向いて祝詞奏上、玉串奉奠などの神事が行われるが、他の祭りと違って、一般には知られていない。
 椿は常緑樹の中で、もっとも美しい花をつけ、古来、中国では九十歳の長寿の祝いを「椿寿」と呼んだようにめでたい木として珍重されてきた。また、椿の霊力によって悪魔を追い払ったという故事も伝わっている。
 社伝によれば、その昔、宮中で「豊明節会」という催しが開かれていたころ、毎年、南宮大社の巫女が御神木の白玉椿の枝を持って京へ上がり、庭でうるわしくひとさし舞って献上したと伝えられる。
御 田 植 祭(おたうえさい)
御田植祭おたうえさい御田植祭

*こし、田ならしに続き 早乙女が松葉を植える

 農作物の豊穣を願う祭りで、例大祭前日に行われる。午後一時、一連の神事で幕を開け、三時ごろから古式豊かな御田植が始まる。
 境内に仮設された斎田に、宮代地区から選ばれた三歳から五歳までの少女二十一人が手甲、脚絆、襷、前掛姿で、髪には金銀の折り紙の蝶をつけた早乙女になって整列。
 男児は計七人が囃子方(笛・太鼓・小鼓)と所役(鍬役・杁役)、歌役として奉仕する。鍬役が中央の盛り土に鍬を入れ、田起こしの仕草を行い、続いて杁役が杁を持って田ならしをする。終わると歌方が囃子に合わせて田植え歌を歌う。
 田植え歌が後半になったところで拍子木が打たれ、それを合図に早乙女たちが一斉に苗に見立てた松の葉を植え付ける「御田植」を行う。
 奉仕した早乙女たちは、髪につけた蝶を大切にしまっておき、嫁入りの際、箪笥に納めて嫁ぐのが宮代の風習になっている。
 この神事は、明治十五(一八八二)年までは末社の御田代神社の斎田で行われていた。現在の形式は室町時代に完成した。関ヶ原の合戦で中止されたが、寛永年間の社殿再建とともに、ほかの各種神事とともに復活した。国の重要無形文化財に指定されている。
例 大 祭(れいたいさい)
例大祭れいたいさい例大祭

*神輿行列が旧宮・御旅神社を往復 蛇頭も乱舞、五穀豊穣を願う

 例大祭には、神幸式と蛇山神事が行われる。
 神幸式は、南宮大社が、かつては北へ二キロほどのところの府中の御旅神社の地にあったという伝承から、年に一度、祭神がそこへ神輿に乗ってお帰りになるという意味合いの神事と考えられ、神輿渡御式ともいう。
 午前十時、氏子をはじめ全国の金属業者、近隣の関係者が拝殿に参列して厳粛な式典を行い、神幸式の幕が開く。
 午後一時半、一番太鼓を合図に神幸式に奉仕する氏子たちが法被姿も勇ましく、続々と高舞殿に集まってくる。  高舞殿には三基の神輿が安置され、祭神の神霊が移されるのを待っている。神輿は寛永十九年の社殿再建の際、三代将軍・徳川家光が寄進した欅造りの立派なもので、金具の所々には三葉葵の紋が組み込まれている。
 午後二時、二番太鼓が鳴ると、宮司によって主祭神の金山彦命をはじめ樹下神社、高山神社の神霊が三台の神輿に移される。
 午後二時半、三番太鼓を合図に神輿が行列をともなって府中の御旅神社に向かって出発する。
 行列は、先導(御旅神社総代)、先導大麻(神職)、御幸太鼓(神職)、前導(総代)、供奉(町長・議長など)などを先頭にして御神宝、神輿が続く。
 楼門を出て下向橋を渡り、大鳥居、石鳥居をくぐり相川へ向かう。この間、途中で神輿を一斉に差し上げる動作「さす」を三回行う。
 行列が相川に架かる御幸橋を渡って御旅神社に着くと、遷霊の祝詞が奏上され、一連の神事が行われる。
 神事が終わると「胡蝶の舞」が奉納される。「胡蝶の舞」は、頭には山吹の花をつけた冠、背には蝶の羽をつけた巫女が、右手に山吹の小枝を持って舞う独特の雅楽である。
 休憩のあと祭神が本社へ帰る還幸に移る。御旅神社を後にした行列が同じ道を戻っていく。その途中、宮代の市場野まで来ると、祭礼場で神輿は「神輿上がり」に安置され、「だんじり」の上で男児による還幸舞が始まる。
 舞は「羯鼓舞」「脱下舞」「竜子舞」の三種類があり、総称して還幸舞を呼ばれ、国指定の無形文化財になっている。
 羯鼓舞は、稚児姿の男児二人が頭に宝冠を頂き、前に羯鼓をさげて登場。撥で羯鼓を打ったり、お互いに交叉したりしてリズミカルに舞う。
 続いてユライと呼ばれる紫縮緬の頭巾をかぶり、緋縮緬の綿入を片袖脱いで腰にまとった男児二人が舞う。片袖を脱いで舞うので、脱下舞という。また、この舞にだけ歌があって歌い出しの最初が「ありがたや」となっているので、有難舞ともいわれている。
 最後の竜子舞は、羯鼓舞と脱下舞を演じた男児四人が、木彫りの竜頭をかぶり、鱗紋様の衣、たつつけをはいて舞う。
 もう一つの神事である蛇山神事は、神幸式と平行して行われる(国指定重要無形文化財)。五穀豊穣を願う農耕信仰の神事で、五日の午前一時、南宮山の奥にある蛇池より降神した蛇頭を宮代の市場野の祭礼場に運び、蛇山という高さ役十三㍍の櫓の上に取り付ける。明け方から神輿が還幸するまで「ドンドコドンドコ」の囃子に合わせて蛇頭を上下左右に勢いよく揺り動かし、口を開閉して舞い続ける。  五人囃子の音色が一段とせわしくなると、蛇山の上の蛇頭と、だんじりの竜子舞が激しく乱舞して祭りはフィナーレを迎える。
大 祓 式(おおばらいしき)
*夏、病にかからぬよう 茅の輪をくぐる

 「茅の輪くぐり」の別名で親しまれる神事。正月以来の半年間の罪・穢れを「人形」と呼ばれる紙でできた「形代」に移して流し、身代わりにする。いわゆる身代雛のようなものである。
 やがて来る夏に病などにかからないようにしようとする平安時代からの年中行事。夏越の祓ともいう。
 また、楼門を入ったところに茅またはススキを束ねてつくった大きな「茅の輪」が用意される。参拝者は、輪を8の字を書くように三回くぐる。その時「水無月の夏越の祓いする人は、千歳の命延ぶというなり」と口ずさむ。当日は深夜まで「茅の輪」をくぐる人でにぎわう。
 夏の訪れを告げる祭りで、昔は茅の輪くぐりが終わると、かき氷が売れ出すと言われていた。
 「茅の輪くぐり(夏越の祓)」は多くの神社で古くから行われてきた。茅の輪を腰につけると病気から免れるという昔の教えが起源とされる。茅の輪は蛇を意味し、蛇を神様の使いとする信仰に由来すると考えられる。
金 山 祭(かなやままつり)
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*野鍛冶による鍛錬式を再現 全国から金属関係者が参拝

 通称「鞴祭」と呼ばれ、地元の野鍛冶(農具などの鍛冶屋さん)の奉仕で、古式ゆかしい鍛錬式が行われる。金物の神様として知られる南宮大社らしい祭りで、全国から鉱山・金属業者が参拝に訪れ、境内はにぎわう。
 この祭りは、祭神が府中の地から現在の南宮山の麓の地へ移った日に由来する鎮座祭。その日は、社伝によれば、崇神天皇五年霜月上申日、つまり十一月九日にあたる。八日に行う金山祭は前夜祭あるいは神迎えの神事と考えられる。
 鍛錬式は高舞殿の上で行われる。午前一〇時半、神職のほか烏帽子に直垂姿の野鍛冶(奉行という)、楽人などがそろい、清めのお祓いのあと宮司が火打石で点火する所作をする。炉は前もって鞴で火がおこしてあり、炉からオレンジ色に焼けた鋼を取り出して鉄床にのせる。その鋼を奉行三人が「トンテンカン、トンテンカン」と槌音も高く鍛錬する。
 約三十分後、多数の参拝者が見守るなかで小刀ができあがり、神職が受け取った後、神前に奉奠される。その間、高舞殿では楽人による舞楽「陵王舞」や雅楽が演じられる。
 この金山祭では、飯、御湯漬、鰯、シイラ、金槌といった特殊なお供えが用意される。中でもシイラ(シイラ科の海魚)は意外性があり、これが供えられる意味は謎になっている。
 宮司の宇都宮精秀さんは、「シイラの雄は、大きくなると頭が鯨の前部のように出っ張る。その形を金槌に見立てたか、あるいは釣り上げると体が青緑色から金色に変色する魚なので、金色からの連想で選ばれたとも考えられるが、定かではない」と話す。
 金山祭の参拝者は、北は東北、南は九州まで全国に及ぶ。
 二〇〇三年の参拝者の一人、畔上清幸さん(IKKショット(株)製造係組長・東海市)は、「主に鉄の溶解などをやる会社です。毎年、現場の代表として来て、業務上の事故が起きないようにお参りします。幸い、大きな事故もなく、無事にやってこれました。テレビなどで見るのではなく、ここに来て昔ながらの鍛錬式を見ると、神聖な気持ちになります」と語った。
〈特集の参考引用文献〉・宇都宮精秀「南宮神社の特殊神事」「南宮大社と鉄」・垂井町「歴史のまち垂井の文化財」・タルイピアセンター「南宮大社―受け継がれた宝物」・太田三郎「日本の神々―神社と聖地所収『南宮大社』」・清水昭男「岐阜県の祭りからⅣ」〈ご協力〉・竹中博男さん(岐阜県刀剣登録審査員)・原田義久さん(垂井町教育委員会)・太田三郎さん(岐阜県文化財保護協会会長)
 南宮大社の御神木は白玉椿。境内にはたくさんの白玉椿の木があり、本殿を守るかのように取り囲んでいる。樹齢を重ねた木も多く、見上げるほどの高さがある。なかに樹齢千年を超えるものもあったそうだが、残念ながら枯れてしまったと聞く。
 高山社祭は、白玉椿の花が満開に咲くころ行われる。この祭が行われるところは本殿ではない。南宮山の山頂近くにある高山社の奥宮である。奥宮にもたくさんの白玉椿があり、高山社祭は別名、椿祭と呼ばれる。
 神職が奥宮に出向いて祝詞奏上、玉串奉奠などの神事が行われるが、他の祭りと違って、一般には知られていない。
 椿は常緑樹の中で、もっとも美しい花をつけ、古来、中国では九十歳の長寿の祝いを「椿寿」と呼んだようにめでたい木として珍重されてきた。また、椿の霊力によって悪魔を追い払ったという故事も伝わっている。
 社伝によれば、その昔、宮中で「豊明節会」という催しが開かれていたころ、毎年、南宮大社の巫女が御神木の白玉椿の枝を持って京へ上がり、庭でうるわしくひとさし舞って献上したと伝えられる。